<bgsound src="furusato.mid" loop=-1> 茨城日立  金山百観音
2016年12月21日(水)


”助川城址公園での集合写真”

[概要]
今年はハイキング同好会のリーダーの好企画のおかげで、あちこちとよく歩きました。今年最後のハイキングは地元日立の歴史 を感じながら、そして自然を味わうハイキングです。

江戸の幕末、水戸藩の支藩だったここ日立(当時は助川)は海防上の要所として注目されました。

今日は 中、近代の歴史に思いを馳せながら、阿武隈の丘陵をのんびりと歩くハイキングを行いました。

10月下旬を思わせる暖かさで、心地よい汗をかきながらの師走のハイキングでした。


[メンバー]  :ハイキング同好会員9名
[山域&山名]:日立(茨城、日立市)、金山百観音(350m) (登山口との標高差:300m、延べ距離:12km)

[天候 ]      :晴れ(気温高い)
[行程 ]       :日立市役所駐車場(標高約50m) 10:00 - 金山百観音(12:00〜12:45) - 日立市役所駐車場 14:45


日立市役所の駐車場に集合し、ここから歩き始める。



10:00   日立市役所駐車場




        ”歩き始めて旧道に入ると馬頭観音と馬力神の像が並んでいた。”


この道はここ助川から山を越えて里美への交通の要衝であったようで、その道の各所に建てられていた馬力神を近年の道路整備により 1か所に集められたようです。
以前はここを馬車が通っていたとのこと。

 



        ”しばらくすると山道になる。
     今日は10月並の気温で、直ぐに汗ばみ上着を脱ぐ。”


セメント原料の石灰岩を運ぶゴンドラに沿って暫く進むと、助川城址公園からの道と合流する。





        ”助川城址公園からの登山道との合流点
    セメント原料の石灰岩を運ぶゴンドラが見える。”


この付近は1年前に助川山ハイキングで歩いたルートと重なる。メンテナンス用の作業道を暫く歩く。





        ”助川山市民の森の「おむすびの池」”


ここからはやっと登山道らしい山道に変わり、約30分程すると今日の目的地、「金山百観音」に到着。


12:00   金山百観音

現代と異なり、江戸時代は信仰が生活の一部であった時代。 西国、坂東、秩父などの札所を お詣りした記念の観音様をそれぞれに奉納したものです。





        ”金山百観音のいわれを記した説明板。”







        ”金山百観音が並んでいる。”






        ”その拡大画像。安永三年(1774年)に建てられている。”






        ”ここで大休憩して昼食。いろいろな おいしい差し入れがありました。”






        ”全員が集まって記念写真。足の短い三脚で撮影”


大休憩のあとはゆっくりと下山。ですが下りはやっぱり楽ですね。





        ”広い林道に変わると歩きよりもしゃべりが忙しく・・・”


途中で山根からの登山道を左に見て、助川城址公園方面へ向かいます。





        ”助川城址公園の手前。
    ここからは日立市街と太平洋そして沿岸がくっきりと。 海防城としては適地だったようです。”



今は史跡として城壁などが残っているだけですが、幕末に水戸藩の徳川斉昭公が他藩に先だって外国からの脅威に 立ち向かおうと作った海防城を暫し偲びました。





        ”城址公園のいわれを記した看板。”






        ”城址公園の記念碑。”






        ”城址公園での集合写真。”


最後は舗装路を暫く歩き、出発地に戻りました。


14:45   市役所駐車場

暖かい初冬の日に、地元の歴史に思いを馳せながら、素晴らしいハイキングでした。



今回のコース



  ”今回のGPSログ。  赤:登り、青:下り”