阿武隈高地
竪破山
2016年 3月23日(水)
”竪破山頂上で全員集合”
[概要]
日立市はJRの駅が5つも配置されるほど南北に長く位置して、 東に太平洋を望み、西側は阿武隈高地を背にしている。
この地形のお蔭で夏は親潮で涼しく、冬は海の暖かさと、阿武隈高地が西風を遮ってくれて、茨城のどの地よりも温暖である。
今月のハイキングは日立の北端に位置して市内最高峰となる竪破山(たつわれさん)を選んで早春の山歩きを楽しんだ。
この山も先月の真弓山と同様に古来からの伝説の地で江戸期には巨岩・山岳信仰が盛んになり、頂上付近には黒前神社を祀り 由緒ある山である。
[メンバー] :ハイキング同好会員15名
[山域&山名]:阿武隈高地南端(茨城日立)、竪破山(658m)
[天候 ] :晴れのち曇り
[行程 ] :十王ダム駐車場10:10 - 竪破山登山口10:35 - 太刀割石11:15 - 竪破山(11:45-12:20) - 奈々久良の滝13:10 - 下山13:45
十王ダム駐車場に一旦集合しここから車を乗り合わせて登山口まで入る。
”登山口にある竪破山の案内図、
ここは花園花貫県立自然公園の一部である。”
”登山口集合組を含め15名が揃い朝礼”
10:35 竪破山登山口を出発
杉林の中に付けられた歩き易い登山道を行くと所々に巨岩、奇石が現れる。
”「不動石」 岩の上に不動明王が祀られている。横8mの巨岩。”
”「烏帽子石」 八幡太郎義家が被っていた烏帽子に似ている。横7mの巨岩。”
”「手形石」 八幡太郎義家が押した手形と云われている。”
登山道は急坂あり 九十九折れありで少しづつ高度を上げていく。周りの杉林は枝打ちを行って整理され見た目もすがすがしい。
”杉林の中の急坂を行く。”
途中炭焼き窯の跡、弁天池などを過ぎ、仁王門は右に見て暫く行くといよいよ最大の巨岩に到着。
八幡太郎義家が奥州征伐の折、竪破山に立ち寄り、巨岩の前で野宿した際、夢の中に現れた「黒坂命」が差し出した太刀 を目覚め後義家がひと振りすると巨岩は真っ二つになったと伝えられている。
”「太刀割石」(たちわりいし)横7m、高さ2.5m
この名前は水戸光圀公が付けたと言われている。”
”太刀割石の前で集合。こうしてみると石の大きさが解ります。
石の上面は写真では平らに見えますが、かなりの傾斜で、人が乗ることはことは困難です。”
この巨岩の前で少し休み、次は頂上へ向かいます。釈迦堂の前にも巨岩があります。
”「甲石」 正面に石をくりぬいた祠があり薬師如来が祀られている。”
”釈迦堂。 名前の通りお寺であり、この坂の上には黒前神社がある。
慶応4年に神仏分離令により黒前神社として継承された。”
黒前神社への急坂は250段以上もある石の階段参道となって、今日一番の心臓破りの坂である。
”急な階段を頑張って登る。”
黒前神社から少し行くと展望台のある竪破山の頂上に到着した。
”らせん階段で出来た頂上展望台。 周りの木々が大きく育ち視界を遮っている。”
11:45 竪破山
”南側は視界が開けて、霞んでいるが12月に登った高鈴山(右)と神峰山(左)が眺められる。”
冬の好天時には那須連山、塩原方面の高原山も見えるが、今日の霞んだ空気では無理である。
”三角点のある山頂で全員揃って記念写真。”
ちょうど昼になったのでここで持参のお弁当で昼食とする。女性陣からいろいろと差し入れがあり、楽しく和やかな昼餉となった。
昼食後消化促進の為、少し先まで下って胎内石を見る。
”「胎内石」 この石も切り立った崖に位置する巨岩である。高さ3.5m 周囲12m”
”「胎内石」 の謂れを書いた掲示板”
頂上に戻り、ゆっくりと休憩後は下山とする。これから先は下るだけで身体も軽やかに。 来た道を戻るのでは変化がないので 「奈々久良の滝」を見て下山することになった。
”「神楽石」 竪破山の神霊が浜降りの際この石の上で神楽舞をしたとされている。”
巨岩、奇石はここまでで、今度は登山道から少し降りて「奈々久良の滝」を見に行く。
”「奈々久良の滝」 渇水期で水量は僅かしかないが数段に亘る滝である。”
滝を見た後は再び登山道に戻り、出発地の登山口へ帰ります。この時間になったら気温も下がって、雨がちらちらしてきました。
13:45 竪破山登山口
約3時間ちょっとのハイキングは無事終了しました。
今回のコース
”今回のGPSのログ”
疲れも程よく楽しく歩き奇岩を巡ってのハイキングでした。また来月をお楽しみに。
来月は4月20日です。日立のシンボル的な山、神峰山の予定です。